和紙素材の研究展Ⅴ帰国展 ギャラリートーク 2018.01.05

2018年1月5日は、ギャラリートークをさせて頂きました。

展覧会の企画側として、やはり1月5日は皆さんお忙しく、難しい日程だったことをお詫び申しあげます。(私の読みの甘さを実感しました)それでも、様々な方々から、ご来場やメールも頂きました。ありがたいことです。

そこで、トークの流れでお話ししたことを簡略化し補足も加えて、ウェブにあげたいと思います。また、ギャラリートークでは、出品者の方々の作品紹介や、ブルックリン展の感想などもお話しして頂きました。

(写真)矢田ギャラリーでのギャラリートーク。1月5日。

 

(1)和紙素材の研究展Ⅴ帰国展について

本展、和紙素材の研究展Ⅴは柴崎研究室と豊田市、アメリカNY市ブルックリンのJ+B Design(J-COLLABO)における共同企画として実現致しました。昨年2017年2月の豊田市美術館での展覧会以降、これまでの和紙素材の研究参加者に呼びかけ〝和紙素材の研究展を海外に持っていく〟という、今後の共同研究のコンセプトとして有志を募り、NYで展示するための様々な作品を制作し、2017年9月にNY展をに実現することができました。

(写真)ブルックリンのJ+B Design(J-COLLABO)

 

(2)ブルックリンのパークスロープ

ブルックリン区は非常に広いのですが、展覧会を行ったパークスロープエリアは、マンハッタンの南、イースト川をマンハッタン橋、ブルックリン橋などと結んだダンボやダウンタウンブルックリンの先のエリアであり、地下鉄・バスなどの交通アクセスが良く活力のある街です。しかし昔は製造業を支えた工業地区でもありやや恐い印象がある地域でした。私も1991年にアメリカに初めて行ったときに、アーティストの下請けも手掛ける大きなスタジオを1人で訪ねたことがありますが、寂しく、人も少なく、いつ何が起こるのかわからない不安を感じたことを記憶しています。現在はかつての工場などの建物も住宅や商業施設への用途変更が進み、良い教育施設ができたり、富裕層も多くなったりで、特にJ+Bデザインがあるパークスロープ周辺はここ10数年の進化が大きく、住宅が多くなり、子育てをする方々に人気の街として進化し続けています。またアーティストのスタジオが多く、本学の元彫刻の教授佐々木敏雄先生の佐々木スタジオもこのエリアにあります。

展覧会の会期中は、現地に住んでいる方々や、付近にスタジオ持つアーティストなど多くの方が訪れてくれました。また、私達も展覧会運営の傍ら、アーティストが使うシェアスタジオや、印刷、造形、活版などの工房付きのスタジオも訪ねたり、またはインテリアやデザインも優れた、創意工夫のあるカフェを訪ねたり、それぞれ、 いろいろな交流が実現できた気がします。

 

(写真)ブルックリン散策、アーティストのスタジオ

(写真)マンハッタン、ハンターカレッジでの出張授業。

(写真)和紙のワークショップ

中でも、想い出に残っているのは、最終日に演奏してくれたサックス奏者の方。まずは展示を見て、和紙のワークショップを子供と一緒にやって、“とても感動したから今日演奏させてほしい”と言う申し出がありました。もちろん快諾しました。そして彼は夕方5時から、サックス、フルート、尺八、そしてサックスのソロ演奏4曲行い、展覧会のエンディングムードに満ち溢れました。

こういったことが、ブルックリンでは日常的に起こっているのでしょうか。

この展覧会を通じて私が最も感じた事はブルックリンという地域が、和紙の展覧会に対して、和紙というプロダクトや作品だけを見に来ているのではなく、その日本の和紙という、“プロセス”に反応してくれているのではないかと感じたことです。

 

 

(写真)会場でのソロ演奏の中でのエンディング。お礼に森下紙8枚セットをプレゼントしました。

 

(写真)田中太山先生の書道パフォーマンス、Richard Ford III先生のイラストレーション。どちらも研究で制作した和紙を使用。

(3)サスティナビリティ、ハンドメイド、アート、ファッション

J+B Designの佐賀関さんのお話しでは、ブルックリンは現在、サスティナビリティ、ハンドメイド、アート、ファッションをテーマに街づくりが行われているということでした。住民は、この街づくりにこのコンセプトを共有し認め合う形を重要視しているようです。例えば大型店舗の出店に関してもこのコンセプトが軸となり協議が行われたり、それぞれの住宅でも、佇まいに植裁とハーブや野菜なども美しく育てるなどの気を使い、捨てる家具、玩具、本、道具類も定められた休日に玄関先にメッセージ付きで出しておくなど、街中で交換が行われたり、イベントの時は路上で演奏を行い、その周りにミニカフェやバーベキューなどが始まる。周辺のお店も夜遅くまで賑わっており、様々な世代が楽しく過ごしているように見えました。聞くところによると、そこには日本の〝もったいない〟とか〝おもてなし〟とかの言葉も共感を呼んでおり、クールに実践している具体像も多く体感することができました。

(写真)イベントの時のJ+B Design前、路上。

 

(4)“和紙素材の研究”とは

和紙素材の研究という授業は、“紙を知る”ということを第1の目標に、最初の和紙工房作りから11年間継続してきました。その発表の場として、現在まで授業を取った参加者や工房で紙を漉いた参加者の作品を中心に、最初は名古屋栄のサテライトギャラリーで2回行い、その後、東京の小津和紙ギャラリー、豊田市美術館ギャラリーで展覧会を実施してきました。今回のNY展は5回目で初の海外展です。

最初は、学生と一緒に和紙というものは、どういうものであるかを学ぶために、試行錯誤して紙を作り、必要な道具や工房を作り、和紙を制作できる環境を整えてきました。そこから豊田市との共同研究が2012年から始まり、原料栽培からの三河森下紙の復活や、和紙のふるさとの充実などテーマに掲げ、地域と和紙づくりを大学と自治体で取り組み、海外での発表も含みその情報を発信してきました。

また、和紙素材の研究のもう一つの軸は、和紙旅行であり、日本中の和紙工房を学生達と訪ね歩き、その場の人々と話をして、さらに紙を知る、考えるなど、私を含め学生達が様々な経験を積む機会としてプログラムを実践してきました。昨年末に三重県、奈良県で実施した和紙旅行は、2007年から11年目の実施であり、60カ所の和紙工房、研究施設を訪問しました。

(写真)2017年の和紙旅行(福西和紙本舗)

 

(5)芸大の学生が紙を制作すること

こうして、様々な和紙の従事者の方々と、自分たち芸術大学にいるものが使い手としての和紙を学ぶことへ、理解を求めて続けていましたが、最初のうちはデザイナーや芸術家を目指すものが、紙を作ることには懐疑的な方もおられました。また、紙漉の方も、紙を使うのであれば自分たちの紙を使って欲しいという直接的な意見もありました。

それでも、自分は照明の作品を和紙で作品を作り続けているけれど、その紙が弱く朽ちてしまい痛い思いをしてきた経験もあります。

芸術に使う紙は既に決まっていて、先生から教わった信用できる紙を使うということが作品の質を維持する為に重要とか、芸術家は紙を作る暇があれば、芸術の力を磨くべきいう方向性の話も何度も聞いたことがあります。しかし、例えばかつての先人の芸術家は、自分の作品に向いた紙を紙漉の職人さんと共同で開発してきたのであり、紙づくりに関してもそれだけの知識と経験を積む機会があったのだと思います。

現在、紙というものは、画材屋さんで買ったり、ネットで注文したり、色々な入手方法があります。でもその紙選びの重要なポイントが自らの実感ではないうちに、高価な和紙を買うことはなかなかできません。また既成の紙から芸術家が作品と向き合うことにも違和感もありました。

これまでの授業で、学生に“先生は手漉き和紙を継ぐ人材を作りたいのか”聞かれたことがありますが、これはNOです。私は芸大の学生は、デザインや芸術活動を一生行って欲しいと思っているし、その上で表現やデザインの必要から紙漉を選ぶのであれば、面白いとは思いますが・・・。でも、学生さんにわかって欲しいのは、紙がどのようにしてできているかを解り、それを自分の手で試し、色々な“経験”を得ることを行って欲しいと思っています。

和紙は尊く美しいのだけど、実際に絵を描くのは紙を仕立てることが必要であったり、手打ち叩解などで仕上げる紙に表情と力がありすぎて、紙の良さは解るけど逆に書きにくい。またせっかく自分の手仕事で苦労して作った紙だから使うのがもったいないなど、いろいろな意見を聞いてきましたが、それもすべて経験の蓄積だと思います。

紙というものは売っているものという概念から、自分で作れるという事を経験し、自らの手で作品として発展させることで、人それぞれのやり方が生まれてきます。そして紙は再生もできます。元々、楮、三椏、雁皮からできるわけですが、良い原料でできた和紙そのものは、クズになって再生しても、良い紙として蘇ります。そういう意味で紙にこだわれば無限に作品の時間軸を越えていくという面白さもあります。

 

  

(写真)デザイン3年生の授業

(写真)書道パフォーマンス太山先生も、本学の和紙工房に紙を漉きに来られました。

 

(6)“ビューティフル・プロセス” “和紙メソッド”

元々、アメリカでは和紙はライスペーパーとして訳されていたようで、以前NYで講演を行ったとき、なぜライスペーパーなのかと何度も聞かれました。(こっちが聞きたいくらいだったのですが・・・)これは私達(アラ50代)の世代に親しみのある藁半紙の事かもしれませんが、これは大きな誤解だと思いました。和紙の工程や、自然と人力による、地域の紙であること。時代を超えるメディアとして力がある紙であることなど、和紙の付加価値についての理解はまだまだ低いです。もともと、アメリカ人が和紙のことをどれくらいわかってくれるかと言うのは難しいものがありました.。

一方、私たちが展覧会を行ったブルックリンは、サスティナビリティ、ハンドメイド、アート、ファッションによる街づくりを1つの方法論として取り入れていることを述べましたが、展覧会とワークショップをやることで、その循環によるイメージが地域の方々に親しまれて、内容わかっていただくことによって交流が深まった面もあるのかと思いました。

“もったいない”の感性など、非常にクールであると表現されることもあります。この和紙の循環型の文化性も“和紙メソッド”として方法論になるのではないかと考え始めるようになりました。

前に芸大の和紙工房に紙を漉きにきたチェコの版画家の方が、紙漉の工程を〝ビューティフル・プロセス〟と表現して下さった方がおられました。原料から手打ち叩解をし、ネリを使って美しい紙を漉き、それらを使い作品をつくり、評価を受け、消滅する時もまた再生もできるという、この面倒で手間のかかるライフサイクルが、もしかすれば感覚的にブルックリンの人に受け入れられたのかもしれません。またこのハンドメイドのもたらす世界観が、“和紙メソッド”として、“現代ならではのクリエーションに繋がる“経験”の構築にならないか”、さらに“教育的な価値を見出すことができないだろうか”、など考えて始めています。

ここでクリエーションのことを考えると、既存のものを組合せたり応用したりで生み出すとか、先生に教えてもらって身につけられるものではありません。あくまで自分の自立心と可能性を信じて実験し続けることが重要なのだと思います。なかなか現在のものづくりをやっていく環境の中では、それを実現する“経験”を得ること自体が難しくなっているのかもしれませんが・・・。

今回、年の初めの“和紙素材の研究展Ⅴ・帰国展”にて、あらためてブルックリンを振り返り、ギャラリートークをさせて頂いた内容を補いながら書かせて頂きました。柴崎の研究室も、この1年“人が経験をつむ”ということについて、いろいろ考えてみたいと思っております。