和紙旅行2017年12月 伊勢型紙・擬革紙・伊勢和紙・三栖紙・宇陀紙・正倉院・二月堂お水取り

和紙旅行2017のまとめ。

2017年度の和紙旅行は、三重、奈良を中心に、伊勢型紙・擬革紙・伊勢和紙・三栖紙・宇陀紙・正倉院・二月堂お水取りなどの紙を巡った。

[参加者]岡田郁代、カクゲイシュ、王尚鵬、張エイハン、劉飛 、李昭墨、浅沼香織、キュウカンギョク、周 業欣、望月 遥、武穂波、岩田明子、齋藤晴香、チェ ユンジョン、内藤 瑠里、秋本知花、河合友理、鈴木美賀子、佐藤友泰、本田光子、冨樫朗、木下幸子、浅田泰子、田中厚美、新関陽香、石故晴菜、磯谷明子、森川美紀

【12月20日】

1,伊勢型紙 鈴鹿市伝統産業会館 本田様

鈴鹿市伝統産業会館を見学し、伊勢型紙について学んだ。

伊勢型紙の地紙、型紙原紙は美濃紙に柿渋をつけ3枚または2枚の原紙貼り合わせて作る。柿渋を塗り紙を重ね、板で天日乾し、包丁でこそげ、燻しによる枯らしの工程を繰り返し原紙ができあがる。型紙ができるまでおよそ1ヵ月半かかる。実際に使うには1年以上経ったものが良いとされている。

伊勢型紙は、江戸時代に大名が藩独自の小紋を定め、気品の高さを競いあったことから発展した。その後、江戸庶民の間でも小紋柄が流行し、全国的に型紙が浸透した。当時から、紀州藩の特産品として保護受けてきた。

型紙の彫刻は、始めに1)型紙原紙のゴミを取り除く、2)おり引きといって、菜種油を軽く型紙に染み込ませる、3)柄移し:型紙に柄を写し取り、星見つけが行うなど。

伊勢型紙には4つの伝統的な彫り方がある

1)しま彫り、直線を連続的に掘る技法。同じ線を3度切らなければならない。正しい線幅で定規を入れる正確な技術が必要。補強の色糸を入れる必要がある。昔は糸入れと言う技法を使っていたが現在は紗貼りという方法が使われる。(対象の頃から円)紗張りは掘る技術と同じように大変重要な工程である。

2)錐彫が小紋を掘る技法。刃先が半円形をした彫刻刀を回転させながら掘っていく技法。

3)道具彫り刃先自体に模様がある技法。道具を自分で作るこの技法。刃先が違う彫刻刀を駆使する。

4)突彫りは、友禅家へ垂直につくようにして模様を掘る技法。自由な文様が彫れる。  

【写真】現代の伊勢型紙作品

【写真】現代の伊勢型紙の数々

【写真】鈴鹿市伝統産業会館

 

2,松阪・紀勢界隈まちかど博物館:三忠

擬革紙 堀木樣

1684年 、この地は、お伊勢参りの伊勢街道であり、江戸からお伊勢さんまでの最後の宿場町。そこでの販売品として、人気があった事から擬革紙が普及した。当時は、タバコが普及し始めたこともあり、またオランダの壁紙として使われていた金唐革(きんからかわ)に憧れた時期でもあった。日本には革の材料自体が少なく、和紙に注目し、金唐革風のタバコ入れなどを作った事がきっかけである。もともと油紙を使い込んだ状態が革に似ていたことから始まったと言われている。タバコ入れ、敷物、などの商品が開発され、その後海外に目を向け、壁紙や鏡の裏貼り、家具へ応用された。製造技術が途絶えていたものを、和紙の持つ風合いの良さを活かしつつ復活させ、三重県指定伝統工芸品として認定も得ている。

【写真】昔の金唐革。この独特の風合いを革の材料が少ない日本では、和紙で実現する。

【写真】三忠の風景

【写真】当時と同じ質感を目指して、研究を重ねている。

【写真】現在、完全な質の復活を目指す擬革紙

 

3,大豊和紙

中北喜得様、中北喜亮(よしあき)様

伊勢和紙として、伊勢神宮のお札の紙を中心に漉いている。

1899年、元々、伊勢神宮のお札を作るための会社創業であった。百数十年で、和紙の世界では新参者。大量に紙を生産する為、原料は、全国様々な場所から取り入れている。昔は、手漉きの舟が工場全体にあったが、1960年代から人員不足のため機械化も取り入れ、手漉きは徐々に減り現在は2名で行っている。

見学した日は、雁皮のインクジェット用紙を漉いていた。紙を漉いて、簀の上に水を打つ。簀の上にメッシュも挽くので、さらに簀を濯いで次の紙を漉く。メッシュはナイロン。石川の池田さんから買っている。最近は、なかなか雁皮が手に入らない。二層紙、伊勢和紙の特徴であるインクジョット紙に使用する。コンクリートにタイル貼りの漉き舟である。

原料は土佐の白、三叉は日本産と中国産。原料の産地には、特にこだわっていない。どこの国でも良いものを判別し使用する。それでも伊勢神宮に持っていくと日本産と外国産であれば向こうは日本産を選択される。ここでは、機械漉きはパルプなども使用する。針葉樹パルプ、Nパルプ、土佐の城氷の大判。

奈良学園登美ヶ丘キャンパスで使った大判の漉き舟もある。簀は、竹簀に紗をかけて紙を漉いている。向かい合って2人で漉く。ナイロンメッシュを使用。伊勢和紙では手漉きの最大の大きさが四八判。

干し板は、ステンレス。鏡面仕上げではない特殊な加工。プレスはジャッキでプレスをしている。干し板は天井からワイヤーフックをかけて吊している。紙漉は2人がかりで行う。最低20枚から注文を受ける。

インクジェット紙芭蕉は、土佐楮と化学粘材と芭蕉(マニラ麻)を配合したもの。事業を始めて、2000年くらいから、本格的にインクジェットの需要が出てきた。滲み、画像の精彩さの特性。発色特性、墨と紙が出会って発色している表現性を追求してきた。

【写真】雁皮の手漉き紙

【写真】原料の楮

【写真】中北喜亮(よしあき)様
【写真】大判の圧搾機

【写真】雁皮の手漉き紙

【12月21日】

4,福西和紙本舗 福西正行様

修復用の宇陀紙を漉いている。紙漉には寒い時期が最も適している。修復の紙は6月から9月はいくら言われても制作しない。水は山の水で軟水を使っている。夏場は吉野の杉、檜を使った紙などを作ったりしている。正行さんで6代目。原料は吉野楮。

楮の栽培は、夏の暑い時に手を入れれば良いものが取れる。吉野の風土で育った楮を使うことにこだわりを持っている。原料は、買った方が効率は良いが、原料のことがわかると言う点で、楮栽培は重要と思っている。1.2m程度に切って。蒸籠状の道具蒸す。1月中旬位。春先まで乾燥させて、その後黒い皮を取り吉野の川に晒す。その次にさらに傷取りを行うが、これに3日ほどかかる。ソーダ灰で約1時間半炊く。重要な紙の場合は木灰煮とする。

現在も手打ち叩解を行う。手打ちだと叩解に12時間かかる。楮は叩けばたたくほど、原料に粘りが出て強い紙になる。この効果は使い手に、出来上がった和紙の毛羽立ちがなくなると言ってもらえる。

白土を混ぜて漉くのが吉野の紙の特徴。山に白土固まりで取りに行って、中国産の石と混ぜ攪拌する装置に36時間位かけ、液状になったものを天日で乾かして白土を採取する。

簀は今では珍しい萱簀。吉野紙は竹簀だと土が乗ってこない。薄い紙は細かい簀、厚い紙は太い簀を使う。萱簀を作る人が現在2人ぐらいいるけど、なかなか今は発注してもできてこない。

紙を漉いて、積み上げて一昼夜置く。長い方が良い。

粘材は一般的にはトロロアオイを使うが私たちはノリウツギを使う。樹皮の部分を叩き潰してネリとして使う。今までは北海道の契約先から仕入れていたが、鹿の被害でノリウツギが取れなくなり、自分で北海道に昨年行き、三日間走り回ってやっと自ら使う分を確保した。

ノリウツギは冷水が合う。薄い紙は寒い時期に漉きたい。お彼岸からお彼岸までが紙漉の時期。秋の彼岸からせいぜい5月いっぱいまで。(夏場は精神的にも気持ちが焦る)冬場の方が落ち着いて仕事ができる。紙漉は、ほとんど家内工業。紙漉は量産を取るか、質を取るかに分かれていった。こだわって質を取るなら家内工業でしっかりとした仕事をした方が良い。

世界遺産になっている石州、細川、美濃は保存団体がある。吉野はその様な対象ではないが、ボストン美術館の北斎などの修繕も宇陀紙を使ってもらっている。いろんな美術館や博物館の保存修復に使っていただいており、お互いの信頼関係でいい紙を提供できる。

色宇陀はトマトの茎を煮出して染める。最近は化学染料も多いが天然染料トマトで染める。裏打ち紙としては、世界中で使われている。色宇陀も白土が入っている。薄口、10口、8口がある。ミョウバンで媒染している。その他、草木染めの紙もいろいろやっている。桜、アケビなど。叩いたあと先染めで原料を染める。

1年に1回、夏場に干し板洗いをする。割れ目は和紙を貼って補修する。デンプン糊で貼る。干し板の板貼りは、板を水平に置き、長上を使い、紙を取り上げ、板上に置くようにして紙を置き、その上で刷毛を使って板張りする。

【写真】福西和紙本舗

【写真】吉野の街並み

【写真】宇陀紙の簀桁。現在では、珍しい萱簀。

【写真】板貼りの風景

【写真】様々な和紙の種類、草木染め

【写真】様々な和紙の種類、杉皮入りなど

 

5,上窪良二様 美栖紙

愛知芸大の保存修復研究所にも美栖紙を納めている。

紙漉と蚕の技を吉野に伝えた。617年、672年に吉野では紙が漉かれていたと言われている。平安中期の延喜式、吉野のこの地域には、最盛期には280件紙漉きがあった。今はもう5軒。福西和紙と漆のゴミを取る、漆濾し紙の昆布さん。

表具の和紙。重要文化財の修復に使われている紙が多い。作り手と使い手との信頼関係によって作り上げられてきた上の文化である。伝統的なことを守って昔ながらのやり方で進めていくことが重要。多少は現代の工夫もしますが。

原料はソーダ灰、または木灰で炊く。荒打ちは機械を使って、後は手作業で行う。叩き込むとしなやか原料になる。紙漉は縦ゆりだけ。その後に漉いたあと、勢いよく直接板に押し付けるように板移しする。

【写真】美栖紙を漉くところ

【写真】学生さんも、美栖紙を漉く
【写真】工房の風景
【写真】天日干し、空気を追い出しながら天日で干す。
【写真】上窪良二様

 

【12月22日】

6,正倉院 正倉院事務所 佐々田様

正倉院宝物は、宮内庁の管轄で国の管理。文化庁所管とは違う宝物庫である。秋に勅使(ちょくし)がやってきて全宝物を確認し、天皇の印の宝物の封印を行うまでの2ヶ月が最も忙しい。よって鍵を開ける事自体が困難である。

建物は、昭和35年まで、校倉造の宝物殿に入っていた。まずは、初期的な宝物殿を建て、稼働させ検証し現在の宝物殿を建てた。正倉院は、職員が変わらない。研究員と表具師。

湿度を55から60%に保たなければならない。木工品は温湿度が必要。どうしてもカビが生えるので、注意が必要である。

聖護蔵、中国の随唐の時代。称徳天皇、南北朝時代の紙と墨のもの。敦煌写経とは違うもの遣唐使を通じ入ってきたもの。紙の出来は素晴らしい。写経の事務的な記述を記したもの。写経の裏を事務作業で使った跡がある。

正倉院は、奈良時代から何度か解体したことはあるとみられる。高床式は8世紀前半。コンクリートの土台は大正期に作られた。校木を組んだ構造。校倉造と言われる。鎌倉時代には落雷もあった。1300年が経っているので、木が炭化している。触れることは厳禁。木材はすべてヒノキ。三角形材は、丸太から材を引き出すのに効率の良い形。これまで、泥棒にも入られている。現在は、中には櫃、箱のみ。記録では、修理の後に盗まれる事がおおい。柱には、傷が沢山ある。

まだ、ノコギリが使われていない時代か。引き鋸や引きカンナは無く、糸鋸状のものが合った程度。

北倉には天皇が使っていたもの。東大寺の文物。中国のものや、刀などは、現在からすれば神技的なものもある。南倉は、大仏関連の法要の時使用するもの。8世紀の布、絹など。

中倉が、その他東大寺の役所のもの。そこに正倉院文書があった。写経所。写経の試験、写経の勤務などの記録が残っている。

明治になって延焼を防ぐ為周辺の土地を買って現在の庭園の形になる。

瓦は、平成22から26年に葺き替えた。天平時代の瓦も数百枚あった。使えそうな瓦は再度使用。天平平安、鎌倉、室町、江戸。鬼瓦は天平のものは見つかっていない。

(特別な許可を頂き、入場させて頂いています)

【写真】正倉 南側

【写真】正倉院文書、コロタイプなどの見学

 

【写真】コロタイプなど説明をされる佐々田様

【写真】正倉を近くで見せて頂いた

 

7,東大寺総合文化センター総長

東大寺 筒井寛昭様

752年は大仏様が完成した年。その年からお水取りが始まっている。東大寺として大仏様を祀る仏教行事があるなか、二月堂での行事はもう少し小さい単位で人々の幸せを祈るもの。

3月10日に水を組み上げるためにお水取りという。もともと東大寺としてひとつの行事であったが全体的にそう呼ばれるようになった。3月の1日から14日まで2週間行われる。

南都のお寺は9人の祈願をもとに作られた東大寺、西大寺、唐招提寺は平城京に都が移ってから作られた。興福寺、薬師寺などはもともと明日香にあって平城京に持ってきたお寺である。新しい寺は、高句麗の影響受けている。古いお寺は新羅の影響受けている。

二月堂のお水取りは、寒い時期の行事なので防寒を考えなければならないから紙子というものが使われた。紙子を着ると言うことは神聖な行事であること。

紙子には、木綿の裏地が付いている。お水取りの道具類は、いたるところに紙を使っている。

2週間着たものを見せてもらう。篝火(かがりび)の煤で汚れている。

紙子は、泉貨紙でできている。これまで白石の遠藤さん。愛媛の菊池さん。泉貨紙は、溜め漉きの2層紙。白石の遠藤さんは現在はやめてしまわれた。

その他様々か紙を見せてもらう。白鳳天平時代に書かれた華厳経断簡。下は焼焦げになっている紺紙の紙。百万塔陀羅尼、世界で始めての木版印刷。陀羅尼は法隆寺が有名だが様々な寺にもある。

平安末から鎌倉。神護寺経典だと言われている。表紙が残っているのが中々ない。裏にも装飾がある。まったく変色していないが銀色が、輝きを失っていない。

陀羅尼経。名塩紙に、墨に熊野の熊胆を混ぜ版木で刷る。お水取りの僧侶が少しずつこれを食べる。

(特別な許可を頂き、撮影させて頂いています)

【写真】東大寺 筒井寛昭様

【写真】紺紙の紙
【写真】紺紙の紙

【写真】名塩紙に、墨に熊野の熊胆を混ぜ版木で刷ったもの。