R-1【共同研究】ウズベキスタン訪問 円卓会議、サマルカンド、コーカンド、ブハラ訪問2018.05

2018年5月9日~5月17日 サマルカンド紙の調査において、古い紙片などの提供に関する協力を依頼する会議を行うため、ウズベキスタンを訪問した。

参加者:柴崎幸次、鈴木美賀子、岩田明子、大柳陽一、鮎京正訓、ウマロヴァ・ムノジャット(通訳)

研究協力:名古屋大学タシケント事務所 エルドル、今村栄一

【2018/5/10】タシケント市内訪問

1,NIFAD大学訪問 研究の報告、紙工房への協力

アミノフ・ハッサン学長、デルフューザ教授、国際部ファジラット先生、教育学部長ベグゾット教授にお会いする。

学長室でご挨拶し、これまでの研究の報告。鮎京理事長より研究協力のお礼と引き続きのご支援など依頼。

柴崎が紙漉の簀桁を提供。中国で制作した簀桁であることを説明。

ミニアチュール、カリグラフィーの研究室へ移動。またニョズザリ・ホルマトフ先生の紙漉きの様子を見せてもらう。

ニョズザリ先生と合流し、始動し始めた紙漉工房に関して議論を行った。

タシケントの桑を収穫し、手打ちで叩解する。ネリ成分は使わずに漉く。

漉き上げた紙は、布に挟んで水を切り、筒に巻くように貼り付けて乾燥させる。

  

 

2,在ウズベキスタン日本大使館大使公邸

大使公邸にて、伊藤大使を訪問した。

ウズベキスタンでの紙の研究についてJICAで作ったコニギル工房の話題や、現在愛知芸大が進めている研究概要を紹介。各機関と協定を結ぶように活動していることを紹介する。その後、本研究を円滑に進めるため様々な協力を頂いた。

 

3、ウズベキスタン文化省にて、研究の報告

大臣「柴崎グループの研究はしっかりしている。私も現在のサマルカンドペーパーと昔のサマルカンドペーパーには違いを感じている。東アジアは紙を大切にする文化があり、私達もサマルカンドペーパーの復元を希望する。紙の道というテーマは魅力的。協力方法について言えば、科学の分野で国際会議を開いたり、両国のアートに関する国際展示会を実施するのもよい。

今はイスラム文化センターをつくっており、文化に関心を持つようになっている。他民族、多宗教の国であるためサマルカンドペーパーの研究はイスラム教だけでなく他宗教においても影響があると思う。書籍を修復するにも原本調査が必要であると思うので、紙片提供に協力します。」

参考に、メトロポリタン美術館のミニアチュールの写真を見せ、同じレベルの作品がウズベキスタン内で見られるか聞いてみたがそのレベルのものは無いとのこと。ミニアチュールの金彩について研究している人はいるか尋ねたところ、部分的に特化した研究をしている人はいるかもしれないとのこと。

 

4,科学アカデミー東洋学研究所、協定MOUの締結

柴崎グループの研究経過報告で、Abdukhalimov Bakhrom所長から、紙の素材がコットンだったことについての詳しく説明を求められた。

協定の書類の確認については近日に外務省から内容の改善を要望するメールが来たばかりだったため、再度内容について確認訂正を行った。最終的に研究内容に理解を頂けたが、書類上、先方の準備した上記の4項目についてのみ協定を結ぶこととした。

改善点として、紙片提供の前に調査する紙の所在や時代などをリスト化しておくこと。(ウズベキスタン内にどのような紙が残っているかわからないので、調査希望のリスト化はまだ難しい)調査方法についての説明など協議した。

研究所ではミニアチュールの本を制作中。研究所所蔵のものと、イランなど3大学の所蔵品を載せている。100部ほど作る予定。値段は未定。柴崎グループが2冊注文した。

研究所では2003年にユネスコと全3巻(時代ごとに分けてある)のミニアチュールについての本を制作した。しかし、予算が少なくミニアチュールの写真が白黒であったため、今後一冊分の作品を選んでカラーで出版したいとのこと。柴崎先生が日本の印刷技術を紹介し、日本ならオフセット印刷による精細な金彩の印刷ができると説明。写真は出版用に撮り直す必要があり時間もかかるが、予算があれば実現可能だとのこと。

図録の出版は、今回の協定には入れられなかったが、今後の課題とすることとした。2003年に発行された図録3巻を頂いた。また、科研の申請のために若手研究員Sharifjdn Islamov 氏の参加をお願いした。

 

【2018/5/11】

5,サマルカンド紙研究に関する円卓会議(IBC タシケントホール)

   

9:15 ホテル発 (鮎京、柴﨑、鈴木、大柳、岩田、ムノジャット)

9:30 タシケントホール到着(今村、エルドル合流)

会場準備を行う。プロジェクターのセット、ネームプレートの配置相談など。和紙の見本やサマルカンド紙の試作は会場の後方に展示。

10:00 円卓会議(@IBC タシケントホール)

鮎京理事長から挨拶、柴崎から挨拶と研究者の紹介、その後、スライドによる講義を行った。

講義内容については拠点形成事業研究の概要と経過報告、今後の展開についてなど。

質疑応答では、サマルカンド紙の歴史などについて盛んな討論がなされた。

10:45 質疑応答

質問者①「紙は世界に600以上種類があるが、なぜサマルカンドペーパーに注目し、復元したいのか。サマルカンドペーパーを何に使っていく予定なのか」

柴崎「中国から始まって西に初めて伝播したのがサマルカンドペーパーだと言われている。世界の紙を考えるうえで重要な紙であることが、サマルカンドペーパー解明の最も魅力的なところだと思う」

質問者①「なぜサマルカンドペーパーなのかという質問をしたのかというと、今のコニギルで作っているサマルカンドペーパーは昔のものと質が違う。もうひとつ、この国では現在紙の生産について大きな課題がある。90%が輸入紙で10%はコットンペーパーである」

柴崎「現在の紙は、様々な表現に必要な紙があればいいと思う。我々が、古い紙を復元する理由は、芸術とか美術を学ぶ上で、古い文化財を復元していくという観点がある。そういう視点でみると書き方とか色彩に関するものだけでなく、紙そのものから復元をすることで過去の技術が解ることもあり、歴史的な再評価を常に行う必要があると考えている。もうひとつ、古い技術を我々も日本で研究しているが、古い技術の土台があって新しい感性やクリエーションが存在するのだと考えている。私は過去に素晴らしい作品が多く残るサマルカンドペーパーを復元することは、ウズベキスタンのアイデンティティを明確にする事ができると考えている。その活動の中に取り入れていくことが、この国の文化の独自性になると考えている」

質問者①「柴崎先生の古い紙の研究もわかるが、私にとっては現代の方が大事である」

柴崎「それは私も同感です」

質問者②「一つ目の質問です。中国の百科事典を見ると紙の発明が105年ではなく紀元前からつくられていると書かれているがその説に反対しているものではないか」

柴崎「中国の紙に関してはおそらく紀元105年に蔡倫により、紙の生産技術を確立したということであり、それまでにも紙は作られていたのは間違いないと思う。世界最古の紙は、中国甘粛省の放馬灘で発見された前漢の紙であると言われている。いろいろな実験や工夫をしながら多くのデータを集め確立したのが蔡倫であり、紙づくりそのものはそれ以前から継承されてきたと思う」

質問者②「二つ目の質問は、柴崎先生はサマルカンドペーパーが750年ごろ中央アジアに来たと言われていたが、その説はタラス河畔の戦いで中国の技術が伝わったと言われている。しかし調べてみると6世紀の終わり頃から7世紀の初めにはすでに製紙は存在したと考える。旅行者の日記には羊の毛からつくられていたなどの記録もある。なので750年説には私は反対している」

柴崎「私も確証を持っているわけではない。ダートハンターなどの研究者がまとめた説であり、現在では疑問点も多いと考えられる。著名な研究の中で、サマルカンドペーパーの記述として捉えているのは、オーストリアのライナーコレクションを研究したカラバチックの論文で、イスラミックペーパーという本の中の一章に書かれている。ライナーコレクションの研究は、メディアとしての紙を研究した中で、パピルスから紙に移行したアラブから中央アジアの遺跡などから発掘されたデータで、この研究をさらに参照することは重要と考えている。パピルス、紙、羊皮紙など、ウイーンのパピルスミュージアムに残さる資料の中で研究されてきたものである」

質問者②「私もその研究を参考に調べていった結果、750年ではないという結論を出した」

柴崎「分かりました、ぜひ詳しくご教授頂きたい」

質問者②「もう一つ、先ほどの発表で勘違いしたので、今後詳しく説明すべき点として、顕微鏡で見る紙の分析結果では、紙そのものの原料や加工に使用した澱粉は区別したほうが良いかもしれない。紙の製作課程で澱粉が使われていたように聞こえてしまう」

柴崎「現在分かることは、数百年前の紙という状態からでしか調査できないので、原料に混入したのか、塗布したのかは、今後の調査したい項目だが、非常に難しい検証となるため今回は表現が曖昧になった。そこまで厳密な分類も必要だが、現在、美術館などを例に取っても、作品情報は、その支持体について、紙とか羊皮紙とか大まかな表現しかされていない。もう少し、コットンなのか、リネンなのかなど、どのような紙を使ったのかという、素材そのものの細かな表記が必要な時代になっているのではと考えている」

質問者②「先生は紙の成分分析をする上で、その紙の時代や書籍、作者などについてはお分かりなのか」

柴崎「私がこの地域を直接読めないので、自分で調べることはできないが、どの書籍からとった紙なのかは可能な限り把握している」

質問者②「今日のセミナーの内容は大事だが、繊維の成分だけでなく、どうやって紙を漉いたかという技法も大事である。技術によって紙の質、繊維の現れ方も変わると思う。サンクトペテルブルクに11世紀のサマルカンドペーパーについての書籍があるが、そこには紙の技法が記されている。その書籍によると、紙が出来上がるまでに相当な時間がかかる。丈夫さや光沢感は原料だけでなく技法、かかった時間、労力などがあるからこそサマルカンドペーパーが美しい紙と言われている」

柴崎「技法のことについても知りたいので、ぜひその論文名について教えてもらいたい。また、原料分析という研究方法に注目したのは、携帯カメラなどの現代の撮影技術だからこそ手軽にできるものであり、たくさんの紙の調査ができる。私はできるだけ多くの量の紙の調査をしたい。これまでは貴重な紙や珍しい紙を顕微鏡に乗せて調査していたが、先生方が仰っているようにサマルカンドペーパーにもさまざまな時代にいろいろな製法が存在していると思うので、我々の調査は年代が分かっている紙を調べる前提で、基本データを整えたいと考えている」

質問者②「貴重な研究となると思うので期待しているし、協力していきたいと思うが、これは国の財産であるので、正式に許可を得たうえで調査をしていって欲しい」

柴崎「現状で、大学との協定などを結び、できる限り正式な許可を取りたい。その為に今日お集まり頂き、専門家の皆さんにこの研究の存在を知っていただくことがとても重要だった。公開性の高い研究にしなければ、今後公に発表できないものになってしまう。また、もうひとつ付け加えたいこととして、サンプルとして提供してもらう繊維の量は本当に微量であるので、紙を傷つけることにはならないと思う。サンプルはきちんと保管しているので要求があれば返却できる。またこの調査方法は日本で古い紙を調べる調査方法とほとんど同じである」

質問者③「時代が分からない紙も分かるようになるのか」

柴崎「(研究の参考として、百万塔陀羅尼の繊維写真の比較研究の例を挙げて)このように繊維の資料を集めていくと、過去の同時代、日本や中国の紙が解析できる結果も出てくるかもしれない。そこから中国と日本の紙の関係について分かるかもしれない。(研究の例の二つ目、インディアナ大学のグーテンベルク聖書とインドの15世紀の写本を挙げて)繊維の写真が似ていることから、製造方法や質感が似ていると思われる。このようにデータを収集することでより深い研究が進められると思う。先ほどの質問の答えとして、たくさんのデータを集めていけば、時代の特定ができる可能性が出てくるという仮説を持っている」

質問者③「先生の方法も必要だと思うが、年代そのものを特定する技術はあるか」

柴崎「炭素分析や同位体分析があるが、費用がかかるし、紙そのものを破壊する調査になってしまう。どうしても年代測定が必要な場合もあるが、まずは画像データと顕微鏡データの成分分析を組み合わせることで似たようなサンプルから年代が分かるようする研究を進めたい」

鮎京「名大の学長時代に沖縄の琉球王朝の布の成分分析調査の依頼があった。名大の年代測定センターに依頼したところ、1550年から70年という緻密な結果が出た。このようなことも可能だ。」

質問者④「私は芸術アカデミーの元ディレクターで、ここの博物館には19世紀、18世紀の書籍が置かれているが紙の種類などは分からない。今後見てほしい。」

柴崎「ありがとうございます。」

柴崎「今日はありがとうございました。今日の意見を聞いてとてもハイレベルなところまで来ていると思う。このまま専門家の皆さんとの交流を続けていくことでより良いものにしていきたい。紙の研究は未開の部分が多いので実験的な研究が多いが、今後とも協力してほしい。」

ここで質問時間は終了。

修復用の和紙のサンプルを各団体に1セットずつ進呈した。大柳先生が和紙について、修復用の和紙があること、紙の厚みや色など種類がたくさんあることを説明した。

 

会議のまとめとしてエルドル氏から挨拶。

記念写真を撮り、個別に話を聞くなどしながら会議終了。

 

6,タシケントイスラム大学訪問(MOU締結・調査結果仮報告・紙片提供依頼)

 

書籍部へ案内してもらう。

前回の紙片提供による研究結果について報告

国際部長のお話では、「大学の人事が変わったばかりのため、現在協定にサインする権限がまだない。上にはすでに了解をとっているし、東洋学研究所から話を聞いているので協力する。カタログのような形で成果になればいい」とのこと。中国のセミナーの案内をしてそこで情報交換をしたい旨を伝え、協定の書類だけ渡すことにした。科研のための研究員については相談の結果、修復の専門家Usmanov A Mahammad Siddiq氏が参加することとなった。ドバイやスイスなど海外で研究もされている。

前回頂いた13世紀の書籍の紙片から分かったことを報告し、今日はその書籍の写真撮影を行った。

国際部長から接写撮影に使ったカメラについて聞かれたので、日本のカメラであること、予算が通れば機材の譲渡も可能となるかもしれないことを柴崎が伝えた。また金彩の細密画の本も見せていただくことができたため、こちらも撮影記録を行った。

13世紀の紙:以前の修復のときに部分的に裁断してしまっていたため、紙を継いで補修したいという要望があった。切断部分は写真データに残っているため、復元可能とのこと。今後相談することに。

金彩の書籍:17世紀の写本でもとの書籍は1500年。カリグラフィーは、子猫の細い毛を使っているという。

修復専門家の方が過去に修復したものを見せてもらった。

紙が破れた部分に和紙が張り付けてある書籍:修復の糊は東洋学研究所にあるものを使っている(生麩糊とのこと)。Mahammad Siddiq氏は3種類の書籍の修理方法を学んでいて、和紙をちぎって貼りつける方法。スイスで学んだのは紙を粉状にして破れている部分と一緒にプレスするメカニックな方法。見てみると紙の繊維感がなく、色は異なっているものの継ぎ目が全く分からなかった。

質問「絵画技法が載っている本はあるか?」「カリグラフィーを優先させているので、絵画の研究はやっていない」

 

7,ウズベキスタン国立図書館訪問(紙片提供依頼) 

 

※16:00鮎京先生、エルドル、親衛隊アカデミー(ルスタンバーエフ先生の大学)に移動、同校で講義終了後、夕食に合流

館長は、今日のセミナーに参加していた。柴崎先生の研究内容を理解してもらっていたたが、紙片提供にはあらかじめリストアップしてほしいとのこと。また年代の不明な紙もあるので、年代測定もお願いしたいとのことだったが、まずは非破壊でできる成分分析のため紙片提供をお願いした。

また協定について説明したところ、今までの3年間で似たような研究をしているが、今回の協力(15世紀以前の紙)についてはまた別のものとして考え、協定内容について検討する予定。後ほど協定内容のデータを渡すことにした。

柴崎「6世紀の紙が存在するという論文について何かご存知ですか」

館長「その図書はもともとここのものではなかったが、この施設ができたので元の場所から東洋学研究所とこの図書館に部分的に保存されている。全部で26000以上の書籍があるが、先生が知りたいのは東洋学研究所にあるかもしれない。

科研申請のための研究員として(紙片提供のために修復時に紙片を保存管理してもらう担当がいたほうが良いということになった)2名に承諾してもらい、そのうちの修復専門家の方と情報交換をした。

修復専門家Pulatov Shukhratillo氏(シュフラット氏)(今年の2月まで東洋学研究所で働いていた)の資料を見せてもらうため別室に移動。

鈴木「書籍の修復をするときは紙の種類を気にするか」

シュフラット氏「(修復した書籍の写真を見せて)楮の紙を使って修復した。接着剤は生麩糊で東洋学研究所にいたときはユネスコから取り寄せていた」シュフラット先生が持っている紙を見せてもらう。

資料①コーカンドの紙:18世紀の紙、簀の目が見える。澱粉塗っていない。磨いていない。

資料②17~18世紀の紙:磨く前の紙だがとても薄い。シュフラット先生蔵の紙なので紙片サンプルを貰った。

資料③年代が分からない紙:紙片サンプルを貰った。

シュフラット氏はもともとグラフィックが専門だったため、東洋学研究所にいたときに2年間、イタリアなどで修復の修行をした。サウジアラビアで修復も行っていた。(サウジアラビアは修復にきちんとお金をかけている)、修復の仕方は日本と同じく、剥落部分に嵌るように和紙を切り取って貼っている。

また、先生は教科書を作っているが、修復に使う和紙の欠点として、紙の厚さ、色、質感の種類が少ないと書いていた。しかし円卓会議で厚みの違う和紙のサンプルを見て種類が多いことを知って感激された。

鈴木「修復の紙を使うとき、元の本に使われている紙の種類の調査はするのか。」

シュフラット氏「修復の専門家なので、紙の素材調査は趣味でやっている。(紙を再現してみるとか)コーカンドの紙は色や質感で区別がつくが、サマルカンドとブハラの紙の区別は難しい。」

円卓会議での発表についての意見:シュフラット先生「200年前のサマルカンドの紙を探すといのは間違った方向性で、最初に工房ができたのがサマルカンドペーパーであり、当時サマルカンドペーパー以外の紙は無かった。その後、サマルカンドペーパーがなくなったので、ブハラの紙ができたという歴史がある。しかしブハラの紙については情報が少ない。ある資料としてはトルコの旅行者の日記にはブハラの地名や工房名が書かれていて、いまだに残っている村の名前もあるので信憑性は高い。また、コーカンドの紙はブハラペーパーの次にできた紙で100%コットンでできている。だから、ブハラ、コーカンドの紙は新しい時代に作られたサマルカンドペーパーと同じと考えるのではなくそれぞれ別の紙であると考えるべき。コーカンドの紙についてはロシアの論文がある。

柴崎「ブハラ、コーカンドの紙作りが始まった年代はどれくらいか。」

シュフラット氏「(先生は)まだ分かっていない。(ロシアではきちんとした研究がされているが、ウズベキスタンでは盛んではない。)ロシアの学術論文はあるので、読んでおく」

今村「ロシアの研究にはどんなものがあるのか」

シュフラット氏「東洋学研究所で働いていたロシアの研究者たちはシステマティック化してデータとして残していた。大体の年代やそれぞれの紙の特徴については分かっているので、円卓会議で紙そのものから年代が分かるような技術があるのかと質問する人がいたわけである。東洋学研究所でサマルカンドペーパーと分かっているものは集めている。こちらの図書館には赴任したばかりなのでどんな書籍があるのかはまだ分からない。」

また柴崎のプロジェクトについての意見として、「芸術表現、伝播、成分、ミニアチュール、カリグラフィーと、一つのプロジェクトとしては研究範囲が広すぎる。面白いし、実践的な研究もあるところは興味もあるが、いくつかの枠に分けて研究を進めるのが良いと思う。」

柴崎が、研究の最終的な目的として人工知能を使ったディープラーニングのことを説明。

シュフラット氏から調査の手間を省くコツとして、年代を区切って調査すること、書籍の最後に書いてある本についての記録を見て調査するか決めたほうが良いとアドバイスを頂いた。

※カラフォン:書籍の最後に書いてある部分で、写本を作った時点での書いた人の身の上、年代などが書かれている。

柴崎が今回の発表をスタートとして、今後このような日本では分からない情報を提供して欲しいことを伝えた。また、修復に使う紙のオーダーが可能であることも伝えた。

小松久男先生が半年間、紙についての講義のために来ていたお話を聞いた。日本での研修の話も出ていたが無くなってしまったため、今研修先や研修の申し込み方法が分かるなら行きたいとのこと。アメリカのアイオワ大学のヨーハン・ソンベルク先生は日本で研修を受けていたらしい。鈴木がヘラート大学の細密画の先生も日本の東文研で研修を受けていたということを伝えた。

シュフラット氏が、大柳先生が所属している修復組織について質問。大柳先生が自身の修復対象について説明した。また先生が行っている修復方法について説明した。(ウズベキスタンでの修復とは違い、水を大量に使って汚れを落としていることなど)

シュフラット先生が中央アジアの10世紀前の紙なら墨は落ちないが、15世紀以降の紙は水で溶け、18世紀以降はヨーロッパから入ってきたインクなので滲んでしまうと説明していた。なので先生は年代が分かっていてもできるだけ水は使わないようにしているとのこと。

大柳「霧吹きで水を使うときは吸い取り紙のようなものを使うのか」

シュフラット先生「吸水性の良いものでプレスしている。日本の修復の仕方を意識しているので日本の修復が学べるところが知りたい」県芸の修復研究所や京都の修復学会、大柳の関係者が協力できることを伝えた。

 

 

【2018/5/12】コーカンド訪問、市内視察(フドヤルハン宮殿見学・コーカンド郷土史博物館見学)

8, コーカンド郷土史博物館

   

館長、紙の専門家(製紙はしないが文献にお詳しい)のヤフヨ先生、もう一方にお会いする。

鮎京理事長の挨拶の後、館長さんからコーカンドの歴史や周辺の博物館について教えていただいた。

柴崎「シルクの紙とはどんなものか」

ヤフヨ先生「コーカンドの紙は、綿とシルクしか使わないと言われている」(調べる方法は手触りや形、音でわかるらしい)

古い書籍を何冊か見せてもらい、紙片提供も受けた。

書籍①(上の写真奥):コーラン、年代不明、綿

書籍②(上の写真中央):シルクと言われている。1875年製

書籍③(上の写真手前、No.7049 899):年代不明(17世紀?)コーランには年代があまり書かれない。簀の目が細かい。

書籍④(上の写真、3775 2490):19世紀、綿だと思われるが写真では綿に見えなかった。

書籍⑤(右の写真):シルクと言われている。200年位前のもの。紙片サンプルを頂いた。

※フェディチェンコ:ロシアの研究者(19世紀)、中央アジアにきて研究をしており、紙工場にも行っていたため、製造者に話を聞いて文章化していた。インターネットで調べると出てくる。

※コーカンドには8世紀、9世紀の紙は無い。(フランスやイギリスにある)また、13世紀のものは東洋学研究所にある。

コーカンドの紙の特徴:サマルカンドペーパーと作り方は異なる。コーカンドの紙は薄い紙だが両面に書くことができる。透過性がある。加工方法は(麦ごはんに使う)麦の澱粉を塗って磨いている。澱粉は麦をそのまま水に入れて柔らかくしたもの。加熱はしていない。また虫食い対策はしていない。

コーカンドの紙を今作ることができる人はいない。政府に研究を申請中である。

コーカンドの紙は17世紀にはあった。より過去には、(チンギスハンの時代)アルファゴニというフェルガナ出身の哲学者がコーカンドの紙で本を書いていたとされるが実物や資料は残ってはいない。コーカンドの紙が無くなったのは1930年。カラサ村で作られていたのが最後である。コーカンド市内は、さらに時期より早くに終わっていた。工場があり、木枠で簀が金属であった。

紙の漉き方:①古い布を集めて選別する。(綿とシルクに分け、色分けもする。混ざっているときもある)

②5,6日間水に入れて腐らせる。

③桶の中で水車を使って混ぜる。

④洗う。

⑤水を入れて混ぜる。(④と⑤のセットを3回やる)

⑥簀桁ですくって木のヘラで厚みを調節する。

⑦漉き終わるとすぐ石の上に置き、少し乾いたら土壁に貼り付ける。一枚ずつ行う。

⑧黒曜石で磨く

⑨麦の澱粉を塗る

⑩20枚ずつ切りそろえて紐で綴じる

紙はコーランや政府の書類に使っていたため貴重なものしかない。透過性があるので障子のように使っていた。

その後ヤフヨ先生に宮殿内の展示案内をしてもらった。下の写真は大量の布を選別していると思われる写真

その他、マルギラン到着、視察(絹織物工場)、バザール視察。

 

 

【2018/5/13】

リシタン、陶芸工房「WORKSHOP OF RUSTAM USMANOV」見学

・二つ目の陶芸工房見学

・のりこ学級見学、織物工房等

 

【2018/5/14】

サマルカンドへ移動

 

9, サマルカンド国立大学 サマルカンド紙研究に関する円卓会議の報告

鮎京理事長の挨拶、柴崎の挨拶と研究員の紹介の後、30分ほどレクチャーを行った。

聴講生は大学の学生が3分の2、その他、一般の人や外部の人。

レクチャーの内容は円卓会議とほぼ同じため割愛。

質問時間

質問者①「今のところどのくらい分析できているか?」

柴崎「まだ数が少ないので今後分析を進めていきたい。」

質問者②(2013年から細密画を書いている人)「ミニアチュールはサマルカンドペーパーに描いていて、描く前に加工している。質問ですが、その研究で素材や描き方から作者名が特定できたりするのか」

柴崎「今、どんなふうにサマルカンドペーパーを使っているのか」

質問者②「紙の加工についてーミョウバンは滲み止めと色の保管の為に使う。紙を磨く。卵の白身など本にある記述から自分に合った方法を試している。実際にどうしているかは秘密」

質問者③「コニギルの紙は修復の紙として向いているのか。」

柴崎「サマルカンド紙は修復用ではない。日本では、修復には和紙を使っている。(和紙の特性を説明)」

鈴木「明礬で加工する方法はどうやって知ったのか。」

質問者②「先行研究や書籍にはいろいろな方法(明礬、卵白など)があることが分かったため、自分の使いやすい方法を選んでいる。」

    

 

サマルカンド大学、歴史学の先生による書籍の歴史について講義

大学や学生が個人で持っている書籍について大学院生とともに研究している。書籍の歴史、内容、出典学などいくつかの科目を持っている。

講義概要:書籍の研究についての講義

10世紀ごろからサマルカンドペーパーは素晴らしい紙として有名だが、研究の結果、サマルカンドペーパーにもいくつか種類がある。研究の結果、一番質のいいものは桑とシルクという説がある。写本には桑以外のものも使われている。なぜかというと、カリグラフィーの紙は間違えても水で洗い流せるからである。(学生はコニギル工房を見学しているので紙の作り方を学んでいる)

なぜ紙の種類が複数あるのかというと、書く内容に合わせて紙を使い分けていたからである。書籍を1冊作るには複数の職人が必要となる。

(1)紙を選んで文字を書く:カリグラフィーを書く人は、縦書き、横書き、主文と端書などいろんな書き方の中からその人の感覚で選んで構成していく。(例:セブという有名なカリグラファーがいた。)

(2)絵を描く:絵や装飾を描く。巻頭と巻末部分は本紙とは別につくられる。章と章を分けたり、最初と最後を目立たせるようにしたりするための絵を描いた。カリグラフィーの仕事も紙の事も本の内容も理解していなくてはならなかった。例えば植物に関する内容の本には植物の絵を描くので植物について詳しい人でないといけない。また、複雑な絵や模様を専門的に描くミニアチューラーもいた。

(3)表紙づくり:表紙を作る仕事は時間がかかる。表紙の飾りの中に作者の名前が含まれている事もあるが、小さく書かれたり、本の形に溶け込んでいたりして、制作者本人でないと分からないこともあった。

以上のことから、一冊の書籍を作るには何人かの労働が必要で、芸術作品といっても良い。

書籍の評価は紙から始まる。紙が正しく選ばれた後、そこに描くミニアチューラーも応じて変わってくる。

 

再び質問時間

副学長「原料から年代が分かるようになるのか」

柴崎「今は原料の種類しか調べないが、時代が分かっている書籍と画像が照合できれば分かってくる可能性もある」

副学長「その関連性の判断は自分たちで判断していいのだろうか。それは正しいものになるのか」

柴崎「最終的な判断は、顕微鏡分析などの厳密なデータを作ってからにしないといけない」

副学長「科学的方法はないのか。」

柴崎「年代測定法があるが、破壊調査になってしまうし、コストも時間もかかるし、紙も失ってしまう」

質問者③「このような研究はこちらでもできるのか」

柴崎「機材があればできる。今後協力関係となり、予算もつけることができれば機材を用意できる」

 

その後、サンプル展示、サマルカンドの写本の持ち寄り交流の後、昼食。

 

大学図書館者本部にて、写本見学・修復方法検討を行った。

書籍①14世紀、研究者の本。ムシュコットという作品の解説が書かれている。紙片サンプルを貰った。

書籍②1614年、99人の預言者の話が書かれている。紙片サンプルを希望したが不可だった。

書籍③1860年。書籍番号「1096432」紙片サンプルを貰った。

書籍④時代未定。中の紙がカラフル。

書籍⑤時代未定。青い表紙の本「I008437」

書籍⑥時代未定。青い表紙で木目の模様がある。「1008510」

書籍⑦1856年。青い表紙「781654」

書籍⑧1883年。赤い背表紙で緑の表紙「1008544」、コットンかもしれない。

書籍⑨時代未定。「1008057」

書籍⑩時代未定。「1008429」

書籍⑪1889年。表紙が茶色。「1007807」

 

カメラの貸与、その他打ち合わせ

調査用にカメラ一式を貸し出した。15世紀以前の書籍の写真を撮ってもらえるよう依頼した。また、施設では書籍のデジタル化を進めているそうなので、紙の情報も書籍のデータとして添付することをお勧めした。大柳先生が日本での修復の様子や修復の紙について説明。大学から次回来たときは、修復の実技と座学の授業をお願いしたいと依頼があった。

サマルカンド大学博物館見学

書籍①1561年。シャシマの本。ソビエト時代以前のサマルカンドでの裁判の方法を書いた本。修復がされているが、最近のものか昔のものかは分からなかった。筆者不明。紙片サンプルを貰った。修復の紙と本紙の部分を調査して年代が知りたいとのこと。1561年は本紙と思われる部分の年。

書籍②1840年。大きめの本で表紙がカラフル。

柴崎「10世紀の本があると聞きましたが。」

博物館回答「そう言っていた人は辞めてしまったのでどこにあるか分からない。」

その他、建築大学の中にミニアチュールの研究室があるらしい。

夕方から鉄道にてブハラへ移動

 

【2018/5/15】

10,ブハラ国立博物館の書籍部

柴﨑、鈴木、大柳、岩田、ムノジャット、現地通訳のムニラ

・ブハラ市内視察(アルク城)・国立博物館(城内)・旧市街

アルク城の事務室に古い本が無いか聞いてみた。その場でも本を何冊か見せていただいた。

・黒い表紙の本…やや新しい。

・明るい茶色の本…簀の目がほとんど見えないので、簀で漉いて布で圧搾しているかもしれない。ブハラの現地の人から預かっている本。ネリが入っていなさそう。溜め漉きの可能性もあるかも。表紙はパーチメントと紙が貼り合わさったものが使われている。紙片サンプルを貰った。

その後、ブハラ国立博物館の書籍部へ移動

書籍部:写真左…東洋大学(東洋学研究所?)出身。古い書籍の研究者。写真中央:現代芸術の専門家。

7千冊の蔵書がある。1051冊は印刷、850冊は手書きである。13~20世紀のものを保管している。ソ連時代本の没収があり、個人で残したもの、裁判に必要な本が残された。残ったものは東洋学研究所、ブハラ、キルギスの研究所に保管されている。

鈴木「ソ連時代に没収されたと聞いたがなぜ残っているのか。」

書籍研究者「個人で持っていたものが集まっている。どうしても残しておきたいものは東洋学研究所にある。」

「古い紙の作り方を知っていますか?」

「-わかりません。サマルカンドのあと、ブハラに王朝ができたので当然ここで紙も作られたと思う。先行研究は見当たらない。アムールティムール朝の後、ブハラ藩国の領土にサマルカンドも含まれていた。だからブハラの紙と言ってもサマルカンドペーパーであったという説もある。同じようにシャイバニ朝の時は領土にアフガニスタンも含まれていた。だからアフガニスタンは良いカーペットの伝統を持つが、もともとブハラの技術だったかもしれない。」

書籍づくりには、一つの書籍に4~5人が関わっていた。書く前に何か塗ったりしたし、書き終わった後も塗ったりした。書き終わった後に塗るという方法はロシアの研究者の本に書いてあるかもしれないとのこと。

書籍①1337年。表紙が黒い本。紙がツルツルで光を反射している。預言者の言葉の本でコーランの解説書。紙片サンプルを貰った。

書籍②1442年。布がぼろぼろの黒い本。スフィ派の手引き本。ブハラ王朝のサインが入っている。鈴木先生が研究候補として多めに写真撮影している。紙片サンプルを貰った。

書籍③1575年。エジプトで作られた写本。メキャ・マディーナについての歴史書。どこの紙を使ったのかは分からない。

書籍④1665年。アフガニスタンのアフマットアバットという所で作られた本。作家のルミーが神について書いた本。アフマットアバットもブハラ国に入っていた。コットンが混ざっている。紙質が良い。紙片サンプルを貰った。

書籍⑤18世紀。レリーとマヅヌソの物語。ハムサという5編の作品のうちの一つ。恋に落ちた人の話で挿絵も描いてある。ミニアチュールはお金がかかるので作られた時代の豊かさが分かる。同じ内容でも質が違ってくる。

書籍⑥1876年。ヘラートで作られた写本。コーランの解説書。絵が描かれている。

書籍⑦16世紀。14メートルの紙が巻かれている。ブハラハン朝時代の書類

書籍⑧18世紀。47メートルの紙が巻かれている。ブハラハン朝にされた寄付の記録

書籍⑨1916年。明るい赤の表紙の本。カリグラフィーの模様の図鑑。134種類ある。カリグラフィー作家が集めたもの。

書籍⑩17世紀。ジョメイという小説家の本。三枚とも1つの本だが、話の場面は違う。

 

11, 現代のミニアチュール作家の工房へ行く

画家でミニアチュール学校の先生でもある方にお話と書籍を見せてもらう。

コッドデン川の周りに水車を使った100軒の工房があったが、1940年に最後の人が亡くなった。プガチェンカという人の研究にはブハラの紙の作り方が書かれている。先生は紙の漉き方を先行研究から学んでいる。また、いろんな国に行って紙の研究をしており、紙漉きも練習中。アプリコットの木の皮でも作ってみている。今年は桑を植えて来年から漉けるようにする予定。

桑については、ウズベキスタンには3種類の桑があり、赤い実のつく種類、白い実のつく種類、蚕が食べる種類がある。今育てているのは蚕の桑。政府から許可をもらって3種類育てて紙をつくり、観光に役立てたいとのこと。

簀はヨーロッパの金属のもの。柴崎はドイツでは金属の簀が作られているので、18世紀・19世紀はそれを使っていてもおかしくないとのこと。

また、ブハラのミニアチュールの学校とはここのことで、2階が教室、1階がお店。

 

【2018/5/16】

12,ニョズザリ・ホルマトフ先生、自宅工房を訪問する

集合(柴﨑、鈴木、大柳、岩田、ムノジャット)

ニョズザリ先生の自宅工房へ(昼食もご馳走になった)

柴崎が今回の旅行中の成果(サマルカンド、ブハラについてと、紙についての研究会を各地で行いたいことなど)を報告した。ニョズザリ先生によると、ベグゾット大学の学生にコーカンドやサマルカンドについて調べるよう現地に送ったことがあるが、紙やミニアチュールではなく陶芸についてしか学んでいなかったため、ブハラのような工房作りは良いことだと仰っていた。紙の学会については最初の一年は柴崎先生に教えてもらいつつ、その後はウズベキスタンのほうで広げていきたいとも仰っていた。

鈴木が截金とそれに使う金箔の種類や箔の加工について説明。ニョズザリ先生が日本の金を買ったとのことで見せてもらったが、ぺんてるの金色の絵具のことだったので、金箔の値段についても説明。唐紙についても紹介した。ニョズザリ先生は書籍のカバーを作る道具も持っているので興味を持たれていた。ベグゾット先生から錫箔に塗る黄色い絵具は何かと聞かれたので、鈴木がカシュ―漆の黄色であることを伝えた。

ニョズザリ氏が金箔から金泥を作る方法と、紙に澱粉を塗る工程を見せていただいた。

金泥の作り方(今回は鈴木が持ってきた銀箔を使用した)

1、接着剤の準備として、ドイツ製の魚でできた接着剤を用意。以前はドイツ製のグミアラビックを用意していた。ウズベキスタンにはない。アラビアから輸入されていた。ドイツもアラビアから輸入している。細かく砕いて一晩水に浸して使う。目安で水を加える。

さらに昔は接着材には魚の油も使った。ウキとヒレを煮て油をとる。

2、爪をしっかり切っておく。皿にノリを入れてまんべんなく塗り広げ、半乾きぎみにして箔を5枚入れ、細かく破っていく。お皿に合わせて丸くすりつぶすと箔が丸まっていってしまうため、一方方向にすりつぶす。

3、水を少しずつ加えて練る。金属の艶が出るまで練る。1時間半程かかる。水を入れて30分以上置いて沈殿させる。

ニョズザリ先生にマーブリングについても教えてもらった。

1、バットに動物の胆のうを入れる。胆のうは市場に売っている。新しいうち、できればその日のうちに使う。臭み止めにアンティビオテックスを入れる。麻の実を一晩浸しておくととろみが出る。マーブリングの時絵具が沈殿しないようにとろみをつける。

2、必要に応じて色数をつくり、針で流しいれる。

流しいれる桶に入っている溶液はマーブリング用の液が売っているので、買ってくるか、作る。

ベグゾット先生が昨日漉いた紙を見せてくれた。次回柴崎先生が来るまでに古布の紙を作りたいとのことで、作り方を伝えた。(すぐ破れるくらい劣化したものを使うこと、叩解は難しいので少しずつやること、叩解の方法としてオランダのホーレンダービーターの話をした)

ニョズザリ先生とベグゾット先生が紙に澱粉を塗る様子を見せてくれた。

塗布用の米汁の作り方(ニョズザリ先生の奥様談) 200㏄の水に20gの米粉を火にかけ、ゆっくり混ぜる。沸騰させない。手早く混ぜて沸騰直前に火を止める。又は、湯を沸かして、米粉を混ぜながら足すという方法もある。米粉はドイツ製で食用。

広めの平筆で一定方向に塗り広げていた。糊はたっぷりで刷毛目にそって糊の筋ができるほど。塗り終わったら乾燥させ、磨く。

柴崎 「米粉を入れて紙をすいたことはありますか?」

ニョズザリ先生 「ありません」

柴崎 でんぷんの説明

大柳 紙を作る時に風合いを重視する時は内添、発色を重視する時には外添する。

 

13,東洋学研究所、Sharifjdn Islamov氏の研究室へ(書籍撮影)

書籍①13世紀。「630」白い本。ベルーニ

書籍②16世紀から18世紀。赤い表紙の本。ミニアチュールが描かれている。サマルカンドで作られた。「ハムサ」ナヴォイの本。表紙とカバーは元のもの。1960年にアゼルバイジャンで購入したハムサ5冊。

鈴木「イスラム暦(ヒジュラ暦)のページに書いてある判子は何ですか」

書籍部長「書籍が本物であることを証明する印。これを押す機関があり、押した人の名前や年代彫ってある。この本は1830年とある。また、書籍は各章ごとに書き終わった日を記録するので、一冊の本の中でも章によって完成日が異なる」

柴崎「書籍の研究とはどのようなことをするのか」

書籍部長「書籍を読み解く時の内容を見る。本全体の内容と形状の記録をする。内容自体を読み解いて研究する人もいる」

東洋学研究所が出版予定のカタログについて、東洋学研究所の基本的な書籍はカタログに載せているが、それ以外は編集者が持っている。カタログには3冊分のカリグラフィーを載せ、ハムサの挿絵部分も巻頭から順に載せている。作家は作品を描くことで神に近づけると考えているため、章の始めは紙に対するお礼が書いてある。また、カタログの編集者であるズハララフィモアさんはベグゾット大学の書籍の専門家。実は前回の渡航中に会っていたとのこと。

ヒジュラ歴に620を足すと西暦が出る。例えば1212年+620年で西暦1830年となる。

柴崎「ミニアチュールの場面、構図などは描き方が決まっていますか?」

書籍部長「その話の盛り上がる所が絵になる。オーダー時の資金で絵の量が決まる。」」

また、もっとも絵が多く入っている話は「ショヒノーマ」というイランの王様の話と、「サファルノーマ」というティムールについての話とのこと。

ナヴォイの本の中で絵の多い話はどれか、という質問も出たが、まだ研究していないとのこと。また、ミニアチュールはもともと絵の部分だけを切って張り付けている。一枚ずつ書いてある本もあるが、大半は絵だけ貼っている。

19世紀の一枚の絵…非公開。有名な人の名言をカリグラフィーで書いたもの。裏にはミニアチュールが描いてあり、2枚の紙を貼り合わせている。お土産品として作られていた。一枚の単体だが、コレクターもいる。研究はされていない。東洋学研究所の特別リストに入っているので電子カタログには載せていない。また、画家の名前や年代が描いてあることもあるが、数は少ない。上手いカリグラフィー職人は数人しかいなかったため、分類することができる。

書籍部長「次回の申請に向けての目標として、次の助成を受けることができたら研究所に工房を作りたいと考えている。紙が作れるようになったらコニギル工房に指導していくべきなのではと考えている。」

柴崎「各地で紙作りをしたい人がいるのでそういう人を集めて会議を開いたら良いと思う。歴史的研究のために、15世紀以前の紙について情報が欲しい。」

書籍部長「書籍から千切れた紙はすぐ元に戻す決まりなので提供は難しい。」

柴崎「調査用のカメラで撮影できるよう用意する。」

書籍部長「書籍に使う光は150ルクス以下でないといけない。」

→カメラの機能について調べておくことに。

また、研究所の図書を整頓するのにスタッフが40人いて200年かかるといわれている。

 

14,芸術アカデミー博物館へ(博物館見学、書籍の撮影)

館内にある展示を見て回った。

ケース①サマルカンドペーパーと言われているものが展示されている、サマルカンドペーパーと考える理由は紙に厚みがあり、縦に線がはいっているから。(専門家に聞いたわけではない)

ケース②12世紀の印鑑が押されているが、紙は12世紀以降と思われる書籍。

ケース③5冊の小さい本が展示されている。18世紀のルミーの写本。中央の本は和紙が貼られているので直したいとのこと。修復の施設は整っていないが、東洋学研究所の修復の先生に表紙は直してもらっている。書籍はホクシングが出たら直すことになっている。

このほか、工芸品のケースもあった。ベグゾット先生のお父様の作品もあるそう。

1階に戻って本を見せてもらう。

書籍①17世紀。辞書についての本。写真撮影を行った。

芸術アカデミーにてミニアチュール作家のお話(鈴木記録)

青はコバルト、砕いてガムアラビックで溶く。赤はチェリーを干して40日水に浸して作る。緑はテンペラ。白はインドの絵具に卵の白身を混ぜる。ロシア製の絵具が良い。イッポドールというバザールを過ぎた所に画材屋がある。ロシアでミニアチュールを学んだ韓国人の師匠から学んだ。

今後のことについて、研究所施設なので、研究関係で協力を希望。またギャラリーとしても使用可能とのこと。柴崎が、各地から人を集めて会議し、基本データの収集と異業種での情報共有をしたいことを伝えた。修復の話として、ウズベキスタンの紙は修復用の紙として使うことを提案。過去の研究をもとに忠実な紙を作るか、今修理のために必要な機能のある紙を作って使う方法があること、それらのうち後者をお勧めすることを説明した。また、修復は無理に行わず、現状維持の範囲内にすること、素材調査と紙の提供をすることを伝えた。

 

以降の行程

18:00博物館出発、18:30旧市街へ、19:20夕食、20:20タシケント空港へ

20:40タシケント空港到着、22:20タシケント空港発

【2018/5/17】08:40インチョン空港着、17:30頃 中部国際空港到着

 

(記録 岩田、柴崎)