R-1【共同研究】ウズベキスタン訪問(2) タシケント、ヒヴァ、サマルカンド、ブハラ訪問2019.02

ウズベキスタン訪問(1)の続き

2019/2/26 空路にて、ウルゲンチへ移動。ヒヴァにて歴史家コミル(Komiljon Xudayberganov)先生を訪ねる。

柴﨑、鈴木、大柳、岩田、浦野、王、周、ムノジャット、今村

5:30ホテル発→6:10空港着→7:25タシケント発(HY051)→8:55ウルゲンチ着 タクシーでホテルへ→10:00ヒヴァ

10:30 イチャンカラ訪問

イチャンカラ…アムールティムール朝のあと、16世紀につくられた街。

18世紀につくられた神学校(ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ)は185部屋の2階建てで神学校の中でも一番大きいクラスのもの。神学校の横にあるキャルタミナレットは1858年につくられたもので、当初は高さ70m、現在は29mになっている。ブハラ朝の王様が街を上から見たくて作ったという伝説がある。タイルの中に数字が入っているのは古いタイル。数字が入っていてもアラビア数字やロシア数字に変化しているものは修復されたタイル

  

 

 

10:30 コミル先生とパフラヴァン・マホムトの墓へ

 

歴史家コミル先生(Komiljon Xudayberganov)に、案内してもらいながらタイルについて教えてもらう。

パフラヴァン・マホムトは、13~14世紀、武道として有名だった人。武道家は当時の哲学者や作家と同じくらい地位が高い。また革職人として働いていたため、現在の墓は元工房兼家だった。マホムット没後は弟子や家族が礼拝に訪れるようになっていた。16世紀のヒヴァハン時代、君主を聖人のお墓の近くに埋葬する習慣があり、君主が聖人の墓近くに自らの墓を作り始めたのがイチャンカラ成立の始まり。

建物について

墓自体は何回か修復され、1810年に現在の大きさになった。アラクルホン(息子)が19世紀に内部装飾を行った。昨年には床暖房を導入。このお墓はイチャンカラの街の中にあるが、建物自体は宗教団体が管理している。

内部装飾について特徴的なマヨルカ

墓にはコーランの一節を書くのが一般的であるが、ヒヴァでは詩を刻んだ。「罪を犯した人と100年刑務所にいる方がましである、300の山を潰した方がましである、9層の大気を自分の血で塗った方がましである。知識のない人と1分話すよりは」と教育の必要性を説いて墓に記した。またマヨルカには修復家の名前(ヴォティールヴァタイル?)と言葉も入っており、「このマヨルカ(模様)には本物よりも美しく花が描かれているので皆は倣った方が良い。これは私からの贈り物です」と書いてある。この墓のタイル装飾は「冷たいマヨルカ」と言われている。天井の模様もタイルで、落下防止のためクーポラという雨除けを外側に作り、タイルは一枚ずつ釘止めしている。

 

タイルの作り方…粘土でタイルの形に成形し、一度焼いてから模様を描き、再度焼く。タイルは一度に焼けないし、どのように同じ色に焼いたのか、焼くことによる個々の縮みの誤差をどう調整していたのかは、旧ソビエト時代に技術が途絶えてしまった。

タイル技術が一番盛んだったのは14世紀と19世紀初めとされている。14世紀は立体的な模様の時代(モザイカなど)、19世紀はこの墓のタイル、マヨルカ(描き模様のタイル)が作られた時代でヒヴァの特徴的な模様で、25㎝×25㎝、あるいは27㎝×27㎝のサイズで作られている。アムールティムール時代の模様とは異なる。職人の名前があちこちに残っている。

14世紀のタイルについてはイチャンカラの中にある14世紀のモスクの棺に使われていて、後ほど柴崎先生が触らせていただいていた。ヒヴァではこの墓のみで、他にはサマルカンド、ウルゲンチ、トルクメニスタンに一か所ずつある。

タイルの貼り方…建物は歪みや縮みが出てくるため、建ててから一年ほど経ってからタイルを貼る。この技術は伝説として伝わっているので現在でも知られていること。

タイル職人の伝説…ティムールは職人に1年で建てろと言ったが、職人は建物を作った後、釘に綱(つな)を垂らして姿を消した。1年後職人は姿を現し、地面についた綱を示して「綱が地面に届いているということは建物が沈んだということだ。従って1年で建てるのは無理だ」と述べたという。土地の性質を良く知る職人の逸話が残っている通り、この地域はそういう特徴がある。今でも家を建てて1年待つという習慣がヒヴァにはある。ソ連時代になってからプレートが作られなくなり、50年間何もされなかった。独立後の今は3人のプレート職人がいる。砂漠の土の種類の1つハッチャは水を入れるほど強くなり、アラバスタという土は時間がたつと弱くなる。

修復について…タイルの剥落は表面のみが剥がれていることが多いため、今は表面1~2㎜に石膏のようなものを塗り、絵具は三種類ほどの石と砂漠の植物、(トルクメニスタンの山にある植物、ロシアの植物等?)から作った青い絵具で手書きしている。

古いタイルと新しいタイルは、正面から見ると区別がつきにくいが、レプリカは斜めから見ると光の反射がオリジナルに比べてやや鈍い。1935年に修復家が働いていた記録が残っている。タイルそのものを復元した箇所もある。

レプリカの釉薬は分析していないとのこと。材料についてはもともと青の釉薬として知られている材料で作っていたため、改めて分析とはならなかった。再現率も上がっているとのこと。現在の制作工房はヒヴァ、ホラズム、イチャンカラから20キロほど離れた場所の3か所がある。

 

11:00 神学校博物館にあるコミル先生の研究室

 

 

 

 

タイルと写本調査

19世紀(1871年)に先ほどのモスク(14世紀タイルのあったモスク)から取れたタイルを見せてもらう。持ち出すなら正式な書類を作るようにとのこと。

紙片調査

①一番大きい本…法律の本、時代不明(浦野調査)(右写真奥)

②黒い本…祈りの後の願い事の言い方についての本、ヒジュラ暦1227年(西暦1812年)(大柳調査)(右写真中央)

③黒い背表紙、白地の本…その時代の法律の本、時代は不明、簀目6本(岩田調査)(右写真手前)

④赤い背表紙の本…11世紀の医者が書いた本の写本、簀目6本(岩田調査)

⑤10㎝程の厚みがある大きな本…世界のでき方と預言者の本、ページの周りが補修してある。(浦野調査)

⑥長い布に模様と字が書いてある巻物…裏は紙を裏打している。17世紀のハンの勅令、西暦1670年(紙片をお預かりした。)(右写真)

ペルシア語について木村さとる氏を紹介して下さった。

⑦ビロードのような質の表紙の本…アリシュア・ナヴォイの作品集、本の中間部分の制作年はヒジュラ暦1246年(西暦1830年)(浦野調査)

⑧赤い背表紙の本…ナヴォイの作品集(ハムサ等)、西暦1816年作成、1817年完成、20.4×30.5㎝、厚み6.8㎝(大柳、岩田調査)。紙片をお預かりする。

 

 

16:00 陶器とタイルの工場へ

 

 

イチャンカラから車で10分ほどのタイル工房へ。陶器とタイルの製造工程について教えてもらう。タイル工房は元陶器工房。現在も陶器の制作を兼ねている。訪問時はシーズンオフだった。

タイルの作り方

①土を採取し、一年間日干しする。

土の種類は2種類。ヒヴァにあるスザリ湖2m下にある白い土とカラカルパキスタンという赤い土を3:1で混ぜて使う。水と土を調合して混ぜ込む。

③パイプで移動させながら水分を抜いていく。フィルターは絹素材。外にため池があり、漉しきれなかった粘土は溜めておいて再利用している。

④空気を抜いて粘土として完成。

⑤タイル状に形を作る。タイルは側面が斜めに切ってある。22㎝角のマヨリカ用タイルと長方形のクーパル用がある。

⑥乾燥

⑦表面を磨き、ベース色の白い釉薬に浸す。石炭を燃やして作った灰汁。コラロイと言う。昔はヒヴァの山から白い石を採ってきて1000度で焼き、砕いて使っていた。

⑧700~900度で4時間ほど焼く

⑨模様を描く。青い釉薬と水色の釉薬を使う。ヒヴァの特徴的な色。

⑩全体に釉薬をかけ、900~1025度で7時間ほど焼く。窯は1989年にドイツから輸入したもので電気を使う。窯の下には保湿のために石英の粉を敷いている。石英は1400度まで溶けない。

 

釉薬について

白い釉薬…カラクムハンという砂漠の植物からアルカリ性の汁が出るため、果汁:石英=3:1(?)で混ぜて1400度で12時間加熱する。液状になったものを冷やし、砕いて使う。かたまりの状態だと黄緑色に見える。カラクムハンは搾りカスが石みたいに硬くなる。

緑の釉薬…上記の白い釉薬1㎏に35~40gの銅を混ぜる

青い釉薬…上記の白い釉薬1㎏に30gのコバルトを混ぜる

 

 

2019/2/28 空路にて、タシケントへ移動。

7:35ホテル発、空港へ→8:20ウルゲンチ空港着→9:35ウルゲンチ発(HY052)→11:00タシケント着、ホテルへ→11:30ホテル着、荷物を整頓

14:00 国際イスラームアカデミー訪問

 

 

書籍部長(ムハンマドシディック氏)に研究過程報告(調査結果の報告、大学で漉いた紙を見せる)

・繊維の写真撮影の協力とデータアップロードの説明

・日本セミナーの案内:書籍部長に講義(イスラムのコーランに関する基礎知識について)と見学に来てほしいことを依頼。

・カメラの貸し出し:カメラの使い方を説明。撮影したデータは写本部のデータベースに入れておくとのこと。

話題:世界最古のコーラン、ウスマーン写本について:顔料の調査、かつての血痕といわれる部分は、科学調査できるのか、聖水の真偽?など。

その他、写本展示の見学など。

16:20 科学アカデミーアル・ベルニー東洋学研究所

 

バフロム所長が不在だったので、副所長のカリモバ・スライヤーン氏と科研協力者のシャリフジョン氏が同席。

・研究経過報告:調査結果について

前回紙片調査の内容に了解を貰えなかったが、第1項目に第6項目の内容を含むものとして了解をもらっていた。しかし、修復時には紙片が出ないことや何回か紙片提供の要請をしてみても話がなかなか進まないので、今後提供する紙片の大きさや提供方法について相談する必要があること。また、前回見せてもらった制作中の図録について完成したか聞いてみたところ、完成して大使館や上の人達には渡していて、その残りは所長が保管しているとのこと。

・日本の資金で図録を作る件について

・カメラの貸し出し:使い方を説明し、貸出票を書いてもらった。

・タイルについて聞いてみたところ、文化省付属の修復所(科学アカデミーの建築修復大学)があるとのこと。

(記録 岩田、柴崎)

 

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