R-1【共同研究】ウズベキスタン訪問(3) タシケント、ヒヴァ、サマルカンド、ブハラ訪問2019.02

ウズベキスタン訪問(2)の続き

2019/3/1柴﨑、鈴木、大柳、岩田、浦野、王、周、ナフィーサ

7:00ホテル発 タクシー→7:20タシケント駅着→8:00タシケント駅発 鉄道→10:08サマルカンド駅着 車にて移動

 

 

10:30 サマルカンド国立大学訪問

 

10:50〜調査報告会:講義形式で調査報告

・前回提供のあったサンプルの調査報告

・サマルカンド紙に近い、ウイーンパピルスミュージアムなど調査報告

・大学での試作紙などの紹介

副学長「どの地域から紙が作られたのか」サマルカンドを中心とした紙の地図を使って紙の伝播について説明

研究者の質問2003年にサマルカンドでドイツ人が展覧会をした。その時の情報では750年代の紙の起源説が確認されていた。また、サマルカンド紙の紙質はシルク紙と言われているが、綿を使っているならどの部分を使っているのか」綿布からつくられたと思われる。

研究者の質問「麻と綿の判別ができるなら、学生でも分かるように表などにまとめられないか?」まだはっきり区別するにはデータが足りないので、紙片資料を増やし、確かなものにしていけるよう研究を続けていきたいことを説明。

学生の質問「愛知芸大の教育システムについて教えてほしい。」美術学部、音楽学部がある。デザイン、日本画・・・など美術学部の専攻について説明した。「柴崎は何が専門でどんな地域を調べているのか?」和紙の照明のデザインがきっかけで大学の紙工房での紙作りを研究をしていることを説明。日本、中国・ウズベキスタン・韓国の紙について研究をしているが、世界中の紙も関連性があると分かってきたので、資料製の高い紙を持っている地域とさらに情報共有をしていきたいことを説明。

 

   

12:15 サマルカンド大学図書館訪問

・未分類の写本のある部屋を見せてもらう。

現状では、修復しながら元の場所に戻しているとのこと。10世紀の本を所蔵していると聞いたことを質問したが、図書館では13世紀の本が最も古いとのこと。その本も今探すのは難しいらしい。修復手順について、修復する際には紙の写真データも追加で保存してほしいことを依頼。図書館の3種類の紙片と撮影データを頂く。データのアップロードシステムについて説明。(ただし、ネット回線が遅くて説明しきれなかった)

・日本セミナー参加について。副学長に日本セミナーの話をして了解を貰った。副学長自身の資金でムハンマディフォン先生以外にも日本に来てもらえるようにするとのこと。

14:40 コニギル・メロス工房訪問

 

 

・ザリフ氏による工房案内

桑紙の作り方:桑の原料は、1年で伸びた木の枝部分(日本では株を残し刈り取るが、サマルカンドでは幹を残し枝を1年1年刈り取っている)を使っている。

①一日水につけておいて皮剥ぎ(ナイフを使って白皮にしている)

②4~5時間煮熟、冬はこの状態で乾燥させて必要に応じて使う。

水と原料だけと言ったが、煮汁が茶色いのでソーダが入っていると思われるが、触ってもぬめりあまりないので多くは入れていない(浦野所見)

③水車による打解(前回の時10時間以上と言っていた)昔は臼と杵で手による叩解。

④紙漉き、漉いた紙はコットンの紙を間に挟み、50~100枚単位にする(ネリ無し、一度汲み込みの溜め漉き、薄い紙は金網を使う)

⑤プレス(石の加重を使う)

⑥乾燥(板や窓に貼り付けてる)→

⑦磨き(石の上で、石や牙、貝を使って磨く。乾かしてから、片面50分ほどとのこと。温度のせいか触ると冷たくしっとりしている)

※以前はデンプンを塗布していたが今はしていない。

売り場は昨夏に増築されていた。この他にも周辺道路やレストランなど、前回来た時よりも整備は進んでいた。

・研究経過報告(特に一年前に貰ったコニギル紙の拡大写真について)

・大学で試作の紙を見てもらう

・工房に流れている川の水質調査(大柳調査):硬度は200以上(日本は10~20)、純度は720(飲料水は164)でかなり不純物が多い。酸性寄りの㏗7でヨーロッパ系の水

 

 

 

16:15 ウズベキスタン文化史博物館訪問

名大今村氏、サマルカンド大学のムハンマディホン先生も合流。ラヒム館長がサマルカンド大学からのコーディネートして下さった。

サマルカンド大学博物館ラヒム館長からエリザベータ(Lushuikova Elizveta Valeutinovna)氏と部下の方。

・博物館について

この博物館は2009年までレギスタン広場にあった。フォンド(保管庫の意味)と呼ばれる。エリザベータ氏(Lushuikova Elizveta Valeutinovna)は移築前から働いており、現在は引継ぎのため若い男性との二人で管理をしている。(エリザベータ氏は2005年に日本で開催されたシルクロードの遺産展に関わっていたこともある)

・タイルについて

陶片調査の下調べで来たことを伝え、陶片を保管している倉庫を案内してもらう。写真撮影は不可。庫内は高さが天井近くまでの棚が作られ、陶片などの資料が籠分けされていた。柴崎先生からエリザベータ氏にタイルについての質問をした。

※タイルは細かすぎて出土場所は特定できないようだった。タイル片にはタイルの装飾が描かれているものと、色ごとにパーツになっているものとあるように見えた。(浦野所見)

①タイルのブルーは色がそれぞれ違うがこれは地域性によるものか、作り方の違いか? 破壊されて残っていないものがあるが、それに関して研究している人はいるか?課題になっていることがあれば研究の参考にしたい。→先行研究はあると思うが今後の研究のために修理時に落ちていたものを用意した。サンプルとして持っていって欲しい。1920年代の工房で直した記録がある。(グラミール霊廟の修理)

1996年に660年のお祝い記念の調査にはA573のタイルが最も古く14~15世紀のものという。

②修復後の色は正確に再現されているか?→他の研究は分からないがエリザベータさんは完全ではないと思っている。作った人によっても色が違う。今なら化学分析ができるかもしれないが実施はできていない。

③青の釉薬は植物の灰と石英の粉を焼いて砕いたものと聞いたが本当か?→その材料は器などの陶器に使うもので、タイルにはデコールというものを9世紀から使っている。専門家ではないが植物の釉薬は聞いたことがない。

④コバルトは18~19世紀から使われていると言われているが、他のものの可能性は?→自分が学んだ限りでは、アムールティムールの時代からコバルトを使っていると習った。

・タイル片の扱いについて

愛知県立芸術大学でも、タイルの再現について、大使館も協力して行ってほしいと考えていること。欠片を持って行って良いのなら成分分析の非破壊調査をして情報共有がしたいことを伝えた。

★破片の国外持ち出しは規制があるため、許可の手続き方法を6月に教えてほしいこと、タイルプロジェクトは一年後から本格的に始めていきたいため、ウズベキスタンの建物と、現在出土場所が分かっているタイル片についても6月に教えてもらいたいことを伝えた。

エリザベータ氏はタイルプロジェクトが大掛かりなものになったら、文化省の管理グループに協力してもらい、その際は今村さんやエルドルさんに手段を教えてもらうことになった。

 

17:25 じゅうたん工場見学

18:25 レギスタン広場見学

19:30レギスタン広場発19:50サマルカンド駅着21:08サマルカンド駅発22:39ブハラ駅着 車23:50ホテル着

 

2019/3/2柴﨑、鈴木、大柳、岩田、浦野、王、周、ナフィーサ

9:00ホテル発 車

9:20 ブハラ国立博物館書籍部

 

書籍部は1990年に東洋大アカデミーブハラ支局のフォンドとして作られた。7000点以上所蔵があり、8世紀~20世紀の本と、石の拓本がある。科研費協力者のAkhmetov Atkham氏とダフロム(Toshev Davron)さん、女性の方(Khafizova M.)(修復を学んでいて、サンクトペテルブルクで学ばれた先生に教わっている)にお会いする。

書籍の調査 10点

タイルに詳しい先生としてBakuev Shodi先生を紹介してもらった。国立ブハラ大学先生で、修復経験もある。

Khafizovaさんに修復の仕方を聞いた。

ドライクリーニング、補紙をする。糊はゼラチン、アルコール、純水、グリセリン。濃度は部位によって変える。糊シミができるのが問題になっている。補紙は色や模様をつけてオリジナルと区別をつけている。修復するときは、オリジナルの修復予定場所を申請し、許可を貰ってから修復するので、許可の出ていない場所(全体の汚れなど)を修復することができない。保管には布袋を使っている。

 

13:55 ダフロム氏のお店

紙漉き道具と作業場所を見せてもらう

紙の加工は米の澱粉(明礬を入れてる)を塗って磨く。磨き石は土台が大理石、手にオニキス、ラピスラズリなどを持って磨く。アフガニスタンで購入。こぶし大で60ユーロ。絵具によっては磨いて紙目を潰し、細部を描き込んでいく。

紙は細密画を描くことを考えながら作っている。サマルカンドのコニギル工房では様々な用途で使う紙を作っているが、細密画には向かない。細密画を描く時は澱粉で板張りをする。(伝統的な糊の炊き方があるらしい)

政府から土地を借り原料を育てており、工房が34月にオープンする予定である。自分の専門は細密画であり、いつも紙が問題になるので、結局自分で作った方が良いという結論に達した。簾はフランスのベルジム?(ベルジュール?)で作成してもらった。銅製で年配のイギリス人が作った。ウズベキスタンでは小さい簾は馬の毛で、大きい簾は金属で作った。簾のことをチャッシュバンドゥと呼ぶが女性が被る薄いベールも同じ呼名である。女性のベールはヒジャーブではないのか?チャッシュバンドゥで調べたが不明であった。

  

 

・ダフロムさんの簀注文の相談

・地下で紙の原料の叩解を見せてもらう

4時間水で煮てゴミを取り除きながら、終日2日間棒でたたく。ブハラは水の問題があるので昔から水車ではなく手打ちと聞いている。16世紀から17世紀の製紙方法を意識している。

質にもよるが、桑よりも綿の方が製紙しやすい。この日の前日にダフロム氏の師の1人がタシケントで個展をしていたのでダフロム氏もタシケントに居たそう。ニオザリ先生、ショーマフムット先生は有名なミニアチュール作家として知られているとのこと。

紙の調査

午前中に話していた絵具の調査のために色のついた古い本を借りたいと伝える。16世紀のものを持っているとのこと。空港で止められるといけないので、大使館権限などで借りられるようになったらお願いしたいことを伝える。今回は撮影記録だけ行った。(鈴木調査)

紙サイズ16.8㎝×9.2㎝、紙の厚み2.22.052.02.252.22.0

厚みがあり、剥落部分に本紙とは違う白い紙が見えるので、本紙、裏打紙、裏の本紙という三枚合わせであるように見える。表面に金銀泥のような光沢感あり。色がありそうなところを集中的に顕微鏡撮影。最後に見せてもらった本…16世紀か18世紀の本。線が引かれている部分が切れている。ダフロム氏は紙が切れているのは金のせいではなく、石で磨いているせいだと考えている。

 

16:00お店発、市街散策、アルク城、城内国立博物館見学

18:15夕食へ→19:30空港へ移動→19:45ブハラ空港着→20:40ブハラ発 飛行機→21:40タシケント着22:30 Uzbekistanホテル着

 

(記録 岩田、柴崎)

 

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